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子育て迷宮日記 子育ては迷うもの。レベルアップに向けて修行なう。

ヒラリーさん

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ヒラリーさん webデザイナー

12歳と7歳の息子を育てています。時短勤務のワーキングマザーです。全力で迷走するリアルな胸のうちをつづります。ちなみに魔女ではありません。

2019年12月 3日

ママが入院するということは ~迷宮レベル42~

★病気発覚、手術をすることに
「40歳を過ぎると病気も増えてくるから、今のうちに痩せときなさいよ。太ってるといいことないで」。姉からの有難い教えを、いつものように右から左へ受け流すところ、去年はなぜか心のどこかに引っ掛かり、『いつまで産後やねん!』を合言葉に大変な思いでダイエットを頑張りました。その甲斐あって、10キロ痩せることができました。予言通りか40歳の誕生日を迎えた今年、病気が見つかり手術をすることになりました。あえて何の病気か書きませんが、できる病院も限られる難易度大の手術のようです。人生初の手術か!?と思っていましたが、あぁそういえば帝王切開してたやん、わたし。

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なんだか急に恐ろしくなりました。だって、帝王切開も結構しんどかったんよね。全身麻酔中に目が覚めることってある?病気の臓器がなくなっても生きていけるの?もしかしたら死ぬことだってあるよね?仕事はどうなる?子どもはどうする?

いろんな不安が次から次へと波のように押し寄せましたが、考えたところで答えがでるわけもなく。あっという間に深くて暗い闇へ沈んでいきました。かといって入院するまでは日常生活のするべきことを淡々とこなさなくてはなりません。ママだから。

頭の中を空っぽにし、いらぬ感情は初めからないことにして黙々と目の前のお仕事をこなしていきました。洗濯物を干しているとき、次男の小さい靴下を見ると一気に涙がこぼれました。まだこんなに小さいのに、ママがいなくなったら...。掃除機をかけていると、おもちゃを吸い込んでしまいなぜかまた涙がでました。料理を作っていると、また...。何も考えていないはずなのに、勝手に目からしょっぱい汗が。汗のバカヤロウですよ。

からだの塩分が全部抜けると、なめくじみたいに溶けてカラカラになる!?
そんな心配をよそにカラカラのミイラにはならず、手術したらしばらく食べれないしね、と思いっきり切り替えたためか一気に2キロほど太って入院することに。懲りないわたし。

★入院準備をする
入院中一番気にかかるのは子ども達。実家の両親を呼び寄せて面倒を見てもらう予定でしたが、偶然にも父が同じ日に体調を崩し入院することに。代わりに夫の両親に見てもらうことになりました。ご飯の好き嫌いはしないだろうか、忘れ物をせずに学校に行けるだろうか、寂しくないだろうか。それはわたしか...。

元気な義父母も遠方の保育所へ徒歩で毎日送迎するとなればこたえると思い、ファミリーサポートに登録しました。そこでわかった現実は、依頼会員より提供会員の数が圧倒的に少ないこと。送り迎えは自動車が使えないこと。利用料は、提供会員が自宅を出る時間から自宅に帰る時間まで。遠方からだと、朝と夕方の送り迎えだけでも相当な金額になります。手術代がいくらになるかわからないし、う~ん...ここはじーちゃん頑張ってくれ!と応援することに...。ごめんね。

パパにも有休をどしどし使って、サポートしてもらうようにしました。パパが定時で飛んで帰ってくるなんて、10数年ぶりかしら。退院後は、姉が仕事を一週間休みサポートしてくれると申し出がありました。本当に有難い。保育所や小学校の先生にもお手紙を書き、入院期間中の子どものケアをお願いしました。忘れ物しても許してちょんまげ。

ママが入院するということは、職場のみならず周りにこんなにも迷惑をかけ、頼ることになるんだなぁと実感しました。

あれやこれや気になることがたくさんあるけど、まずは自分の体を治すことが今のわたしが一番集中しないといけないことと思い、後ろ髪ひかれながらも家を後にしました。入院したその日から絶食のはじまりです。

★人生最大の手術をうける
様子を見に来てくれた担当の先生から、「今なにが一番心配?」という質問があり、「自分がこれからどうなるのか不安でたまらない。わからないことが、わかっていない」と答えました。すると、「今はいろんな事を考えてパンクしてしまうよね。そういう時は、目の前の課題をひとつひとつ丁寧にこなしていこう。入院中はその指示はわたしがするから。手術が終われば、まずは翌日からすぐに立って歩くこと」
考えてもわからない時に目標をもらえたことで、少しほっとしました。

気になっていた父に病院から電話をかけました。急に入院だなんてびっくりしたし、大丈夫なん?と尋ねると、「わしのことより、あんたのことが心配や」という返事。なんで自分より娘やねん!と思うと、またまた涙があふれました。もう3年分の涙は出たはず。

フロアの違う手術室へ向かう時、エレベーターの前まで夫が見送りに来てくれました。その顔をみると、またしても涙が。ミイラじゃないからまだ出るのか!?すると、付き添いの看護師さんが「手術は初めてですか?」という質問。イラッとしつつも「は、は、は、初めてではないですうううううお~ぉぉぉ。二度目でもつらいぃぃぃ~」とおいおい泣く40歳の背中をさすってくれる20代の看護師さん。ああ、情けない。

エレベーターを降りるとすぐ手術室があるのかと思いきや、長い廊下を通ったところに手術センターという看板が見えました。その扉が開くと、まるで宇宙船の中のように真っ白で、まるで小さい街のように大勢のいろんな人が働いています。事務服を着て小走りなおばちゃん。談笑をするお医者さん。慌ただしく運ばれていく担架。奥の方までずらっと並ぶ扉に番号がふってあります。わたしは一番奥の14番に入りました。そうそう、やっとイメージしていた手術室。手術台に横たわり、不安に思っていたことを麻酔科の先生らしき人に尋ねました。「手術中に目が覚めることってないですか?帝王切開の時に目が覚めかかったような...」というと、「モニターを見ながら麻酔科の医師がつきっきりで見ているから絶対に大丈夫。もし目が覚めたら教えて」とにっこり笑顔。「おやすみ~、目が覚めたら終わってるよ~」とかすかに聞こえる声に『どうやって教えるぅ~...』と突っ込みました。

次の瞬間、肩をたたかれ名前を呼ばれ薄っすら記憶が戻りました。
「無事に終わったよ」
その言葉で、ほっと安堵しまた深い眠りに落ちました。

次に目が覚めたのは、病室じゃないどこか。隣の部屋では看護師さんが働いている音がします。もちろん体は動きません。背中が痛い。寝返りできず体勢をかえられないための痛みです。手術時間は短くても6~8時間、長くて12時間くらいかかるだろうと言われていたところ、癒着もなく最短の4時間で済んだようです。

★リハビリがはじまる
翌日、自分の体につながれている管の数を数えてみました。4本かな!?と先生に聞くと、「背中にも硬膜外麻酔が刺さっているので5本だよ」と教えてくれました。海外の映画だと、管を全部引っこ抜いて歩き出す主人公がいますが、恐ろしくてそんな真似はできません。想像するだけでやめときました。

そしてついに、「約束通り歩いてみようか」と言われました。起き上がるときにこのお腹の管は違うところに刺さりませんかー!?という心の声は言葉には出さず、「はい」と返事をするところ「へぇ」とかすかに声が出ました。はい、起きあがって~と言われたところで、意外と腹筋を使うことがわかりました。回転しながら遠心力で起き上がれるか!?とイメージしつつ、ベッドのフレームにしがみつきましたが体がうまく動かせません。看護師さんに手伝ってもらってようやくベッドの淵に座ることができました。大きな深呼吸のようなため息の後、その場に立ってみました。

行けそうなら歩いてみよう!と言われ、一歩一歩足を出してみましたが、4歩あるいたところで目の前が真っ白になりました。「あああああ」と目をつぶったところで、その日は終わりになりました。抱えられてベッドに寝かせてもらい、血圧を測ると上が65下が35。しばらく足を上げて寝ころんでいるとましになりました。結局、自分のベッドのカーテンの外には出ることができませんでした。

術後2日目は10歩あるきましたが、病室から出ることはできませんでした。術後3日目は病室を出た廊下の角まで。そこから車椅子でベッドまで戻りました。いろんな管がつながっている不自由さ、なくなった内臓の場所に違う臓器がここぞとばかりにポジション争いをする痛み、今にも這いつくばりそうになるのを必死で耐えてリハビリは続きました。

「落ち着いてそうにみえるけど、案外違うのねぇ」と先生からチクリ。リハビリを頑張り切れていないことへの言葉なんでしょうか。そこで、理学療法士についてもらってリハビリをすることになりました。歩き出すと心拍が110から上昇し130まであがってしまいまたもや中断。120はジョギングしている人と同じ心拍のようです。心臓が苦しくてなかなか歩けないでいたところ、血液検査で脱水状態だったことがわかりナトリウム入りの点滴に変えてもらったことで少し回復してきました。さんざん泣いたからかしら。脱水って結構しんどいのね。

術後4日目になると驚くほど急激に回復し、100メートル歩けました。すごいやん!と自分でほめてみたものの、退院後の生活を考えるとまだまだなんだと落胆。足が悪いわけじゃないのに、術後こんなに歩けなくなるなんて思ってもみなかったなぁ。

歩けた!と先生に報告すると、今日歩けても明日歩けなくなったりすることもあるから、一喜一憂してると、反動がすごいよとアドバイス。So Cool!!

そんな時に、長男が夫と一緒にお見舞いに来てくれました。次男は病室で走り回る可能性があるためお留守番です。わたしを見ると長男は涙をこらえながら手紙を渡してくれました。そこには、『ママが元気になったら一緒にご飯を食べようね。』と書いてありました。そういえば、入院してから1週間もご飯食べてなかったー!と食欲を思い出しました。夫から、長男が毎晩布団を頭からかぶってこっそりと声をたてずに泣いていることを聞き、早く退院できるように頑張らないといけないなぁと改めて思いました。ちなみに次男の様子を聞いてみると、ママのことは忘れているみたいに何も問題はないとのこと。それはそれで嬉しいような悲しいような。

結局、入院は3週間かかりました。最終300メートル歩くことができました。痛みとの戦いは、退院後も2カ月続きました。生きるって結構しんどいのね。しみじみと実感する毎日。泣いたらナトリウムがもったいないので、できるだけ泣かないようにしようと思いましたが、つらすぎて吐いたときは泣きました。気が付けば入院してから体重は7キロ減。

病気になるんやったら、ダイエットしなくってもよかったんじゃないか?そもそもダイエットが原因なんじゃない?さんざんまわりから無責任に言われましたが、そんな短期間では病気にはならないし、痩せたから腹腔鏡の手術も短時間で終わることができたんだって思うようにしていると返事をしています。

手術から4カ月たった今、家事と子どもの送り迎えくらいはできるようになりました。日に日に回復するわたしとは対照的に、父は入院から1カ月半ほどで亡くなりました。全身の痛みに文句ひとつ言わず、結局最後までお父さんの口からは痛い、つらいということばは聞かなかったと母が教えてくれました。「治ったら孫と映画を見に行くからお盆までには退院しないと!」って看護師さんに話していたそうです。末期がんと知っていても最後まで治ると信じて前向きな発言しかしなかった父の亡骸は、とても穏やかな表情でした。病気になるのは本人が一番つらいけど、そのまわりも不安で大変な思いをしています。自分を支えてくれる人のためにも、暗い気持ちにさせないようにできることってあるんだな。父の姿に、わたしは生き方を学んだような気がします。

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「長男がじいちゃんのために作ったお地蔵様」

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