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新米ママ ナミの子育て奮闘記

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9歳と6歳の男の子のママです。子育てに奮闘するリアルな日常を綴ります。

2020年3月25日

【第16回】次男の入院

◎次男の入院

2019年11月。次男の高熱が4日続き、小児科で川崎病の疑いと言われ近くの総合病院を紹介される。検査の結果、典型的な川崎病と診断され即入院!

たまたま母に来てもらっていた時で、夜に小児科を予約していたので車で送ってもらい、帰りも迎えにきてもらうつもりだった。それが家に帰ることなくそのまま入院することになろうとは!(>_<)

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次男の検査中、薄暗い病院の待ち合いで、母に連れられてきた長男は泣いていた。

「おかあさんと いっしょに ねたい!おかあさんと いっしょに ねたい!」と、静まりかえった廊下に響き渡る大声で泣くので恐縮だった。私たちがしばらく家に帰れなくなったことを聞いて気持ちが抑えられなかったらしく、なかなか泣き止んでくれなかった。
夫が仕事を切り上げて帰ってきてくれたので、長男を家へ連れて帰ってもらい、母と私は手を包帯でぐるぐる巻きにされ何本ものチューブをつながれた次男と病室へ。

母に病室に残ってもらい、入院準備のために家へ帰ったら、長男は泣き疲れて夫の膝の上で寝ていた。

シャワーを浴びて荷物をまとめる。長男は、次の日も幼稚園があるので、用意をして夫に必要事項を伝えて家を出る。ちゃんと通園できるだろうかと心配だったが、夜中に義母が駆けつけてくれたので、安心して任せることにした。

病室に戻ると次男はスヤスヤと寝ていた。

母には帰ってもらい、次男の眠るベッドに上がる。高い囲いのあるベッドに寝そべると、例えは悪いが、なんだか牢屋に入れられているような感覚だった(^_^;
夜中にも何度か看護師さんが点滴を確認するために部屋に入ってきた。次男のチューブが外れたり絡まったりしていないかが気になるのもあり、なかなか寝られなかった。

次の日、薬のおかげで熱がすっかり下がったので、ひとまず安心出来た。

今回のことがあるまでは、川崎病という病気について何一つ知らなかった。川崎病は全身の血管が炎症を起こす病気らしく、原因は解明されていないらしい。次男は白目が赤くなる、BCG痕が腫れる、いちご舌などの症状が当てはまり、川崎病を疑われた。
合併症として心臓の冠動脈に瘤が出来る可能性があるので、発病後出来るだけ早く治療を始める必要があるそうだ。

次男は入院中、定期的に血液検査と超音波(エコー)、心電図の検査を受けた。幸い血液検査の度に徐々に数値が良くなり、合併症もなく10日間で退院することが出来た。退院後は2か月間、毎日血液が固まりにくくなる薬を飲まなければならなかった。

そういった治療の甲斐あって、その後何の症状もなく普通に過ごせている。

ただ、インフルエンザ予防接種の2回目は控えることにした。
今後も経過観察が必要で、最初の1年は3~5カ月ごと、2年目からは年1度、5年間定期的に検査を受けなければならないらしい。

入院中、何日間も立ち歩くことが出来ず不自由だったはずなのに、次男は病室に慣れて快適に過ごしていた。

その様子をみて、子どもの適応能力は本当にすごいと感心した。
長男は、私と次男のいない生活にも慣れて普通に過ごせたようだった。それは、両家の祖母たちが交代で面倒を見てくれていたからだ。こういう時に惜しみなく助けてくれる家族がいて、本当に恵まれているなと実感する日々だった。


◎年少修了

コロナウイルスの影響で3月初めから幼稚園が休園になった。

そのため晴れている日は公園でピクニックすることが多くなった。それでも4歳の長男を十分に運動させられているかはわからない。やはり幼稚園は有り難い、と改めて実感した。

この1年間で、長男は大きく成長したと思う。
入園したばかりのころは心配だったが、今ではたくさん友だちが出来て楽しく幼稚園生活を送っているらしい。お迎えに行った時も「○○くんバイバーイ!」と、自分から声をかけたりかけられたりする姿を見て、立派に幼稚園児をやっているなと胸が熱くなった。

春休みが終わればいよいよ年中さん。

新しい年少さんが入って来ることで、また一つお兄さんになるんだろうなぁ(^^)
最近ほとんど手がかからなくなった長男。小さい頃はあんなに大変だったのに。。
このまま母から離れていってしまうように感じることがあって、助かるような寂しいような。。とはいえ、まだまだ手のかかる次男を抱えて、奮闘の日々はもう少し続く(´V`)

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